「B29墜落」を学ぶ

<現在(10月29日)の支援状況(現金での寄付を含めて)>
支援総額 4,109,500円(目標4,000,000円)➡目標額を達成しました!!
支援者総数300人(目標500人)

10月28日(金)。この日は、一日、門司に居ました。

九州各地のB29墜落現場の調査や慰霊、ご遺族との交流などを行っている深尾裕之さんの講演会に参加させていただきました。また、午後からは、実際にB29の墜落現場に行って、落下物を探すという活動にも参加!

大変貴重なお話と体験に、充実した一日を送ることになりました。

戦争中、墜落したB29の搭乗員が、捉えられ、九大医学部で人体実験、解剖によって殺されたり、油山で日本兵によって斬首されたりしました。
深尾さんは、そんな、殺された米兵の遺族と殺した日本兵の遺族との、憎しみを越えた交流を成し遂げた方です。

私にとって深尾さんは初対面でしたが、その口調やしぐさから、「誠実さ」「心遣い」を感じました。
「なるほど・・・」と、思わずにはいられませんでした。

深尾さんのお話のレジュメの言葉から。

お互いの複雑な気持ちに寄り添いながら同じ人間としてお互いに信頼関係を得て話をすれば、最終的には必ず感謝の気持ちを交わすことができる

犠牲になった人々の存在を忘れず、不幸な事件が発生したことにも目を背けず、同時に未来がそうした残虐な時代にならないように正しい歴史を伝承する必要がある

私自身、自分の生き方、また、新しい資料室の在り方を再確認することができました。

午後は、B29墜落現場へ。

 B29墜落現場

少し窪んだように見えて、77年も経った今も、あの大きな機体が見えるようでした。
この墜落によって、10人の米兵が亡くなったそうです。
そして、1人が生き残り、捉えられ、移送先で亡くなったそうです。

私は、搭乗員の方々に思いを馳せました。

会ったこともない。顔も分からない。
でも、19歳から31歳の11人の人のことを想像しました。
家族のこと、好きなことは?どんなことを考えていた?妻は?恋人は?
戦闘中、墜落する時、どんな様子だったのだろう。どんな気持ちだったのだろう。・・・

想像することしかできません。でも、こうして想像することで、過去を生きた人たちが、私の中に居てくれるようになるのです。
そして私に、勇気や信念を与えてくれるのでした。

北九大の学生さんが、金属探知機で遺品(部品ではなく)を探していました。
搭乗員と年齢の近い人達が、こうして戦争の事を知り、考えていることに、未来への希望を感じ、うれしくなりました。

見つかった遺品

見つけた遺品を前に、深尾さんが、今日のために書いていただいたご遺族からの手紙を読んでくださいました。

『相手の気持ちに寄り添いながら』人間として活動している深尾さんと遺族の方々との信頼関係を、この「手紙」から強く感じることができました。

みんなで黙禱しました。

アメリカの人と同様に、当時の朝鮮の人、中国の人、オランダの人。みんな同じ人間として、寄り添いながら過去の事実学んでいくことが、未来の平和につながるのだと思いました。

この点で新しい資料室ですべきことは、若松と関わりの深かった朝鮮の方々のことの調査と展示かなぁ。とも考えました。

とにかく、貴重な一日となりました。
こんな貴重な体験ができたのも声をかけてくださった西門司市民センター館長の渡辺さんのお陰です。感謝です。

渡辺さんと同じように、私も北九州をよりよくする、いえ、世界をよりよくする力になりたいです!

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