戦うのは生身の 心ある人間

米軍がアフガニスタンから撤退し、20年間にも及んだ「対テロ戦争」が終わりを告げました。

アフガニスタン国内の情勢は、不安定なままで、人々の人権が脅かされている状態が続いています。世界中の国々が、アフガニスタンから目を背けず、関わり続けることが大切だと思います。

ところで、実際に戦いに参加する兵士のことを具体的に考えたことがありますか?

このブログでも兵士のことは何度も取り上げてきましたが、今回は「死」について考えたいと思います。


戦場での「死」といえば、「弾に当たって死ぬ」「爆発に巻き込まれて死ぬ」「ケガが悪化して死ぬ」「溺れて死ぬ」「病気で死ぬ」「飢えで死ぬ」「自ら死ぬ」・・・。(こうして、どうやって死んだのかを考えただけでも、戦争がより恐ろしく感じられます・・・)と、アジア太平洋戦争での日本兵の死に方は様々でした。前にも書いたと思いますが、終戦前の1年間にその死は集中。その死因も戦病死が6割も占めたと言われています。もちろん、戦った場所によって様々ですが。

さて、「対テロ戦争」でアフガニスタンで戦ったアメリカ兵の死者数、死因はどうだったのでしょう?


実際の軍事作戦での死者が7057人だそうです。(アジア太平洋戦争に比べたら格段に少ないですが、この一人ひとりのことを思うと胸が痛みます。家族など普段の生活を思うと…)

でももう一つ死者の数字があります。30177人。
戦死者の4倍のこの数字。ーーー 一体、どうやって亡くなったのでしょう…?



自殺者の数だそうです。戦死者の4倍もの兵士が自分でいのちを絶ってしまったというのです。

ーーーこの数字の中には退役した兵士の数も含まれています。



私たちは、この事実も知っておかなくてはならないと思ます。

「戦い」というものが、「その時」だけのものでなく、大きな禍根を残すものであるということ。
平和な環境に戻っても、決して忘れることができない体験
であるということ。

戦う兵士も人間です。一人ひとりに心があります。

第二次世界大戦の頃とは戦い方が変わって、相手と直接戦う白兵戦は減り、空からの爆撃や距離を取っての銃撃など、戦いに相手の顔が見えにくくなっていると思います。
それなのにこんなにも心が傷ついてしまう・・・


私は、この事実について、ずっと考えていました。
そしてここに、「人間の尊さ」があることに気付きました。
苦しみ抜いた方たちには申し訳ないけれど、人間らしい想像力があるから、深く傷ついたのではないではないでしょうか。「戦い」が平気ではないというのは、正常な心の在り様なのではないでしょうか。
また、「テロリストを探す」仕事は、「人を疑う心」「襲われるかもしれない恐怖」というストレスばかりの行為。心に負担がかかるのは当たり前なのではないでしょうか。

苦しくて苦しくて、死を選ぶしか方法がなかった多くの人達は、私たちに、「武力は捨てたほうがいい」「武器は人間の心を蝕んでしまう」「人を信頼できる方法を考えた方がよい」と教えてくれているのではないでしょうか。

この絶望的な事実は、私達に希望を与えようとしているのではないか。

私の出した結論です。


でも、この事実を知り、苦しんだ人たちの心に寄り添い、「どうすればこんなに苦しむ人が無くせるのか」と、本気で考えなければ、「希望」は見えてこない・・・


戦後の日本でも、多くの方が亡くなったのでしょう。「戦死者」の数には入れられていない多くの人達のことも考え、人間としてどうやって平和を守るべきなのかを考えて行動していかなければいけないと強く強く思います。


子どもの頃読んだ、灰谷健次郎著『太陽の子』に出てくるお父さんのことを思い出しました。
苦しみながら生きようとした人たちのことを忘れてはいけない・・・

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