戦争を体験した子ども達

資料館にはたくさんの本が置いてあります。

どういうわけか、『行李(こうり)の中から出てきた原爆の詩』という本が目に留まり、手に取りました。

原爆を体験した子ども達(小学生~高校生)が、戦後7年目に書いた詩や作文が載っていました。

目の前の現実しか分からない幼い子ども達にとって、「原爆の記憶」は、色、形、匂い、感触、・・・という、忘れたくても忘れられない、コントロールすることのできない負の記憶として、心の奥底に留まっているのではないかと思います。
被爆体験を伝承されていた故 岡田恵美子さんが「私は、夕焼けが嫌い。あの日の光景を思い出すから。」とおっしゃっていたことを思い出します。
言葉で表現することができない子ども達は、戦後、どんなことを思い、生きてきたのでしょう・・・。


一篇の詩の言葉が私の胸に突き刺さりました。

「大人がにくらしい」

「今」とつながっている「未来」を生きるのは子ども達です。

でも、子ども達には国(生きる環境)の未来を決める力はありません。子ども達の未来のことまで考えて行動することは、大人の責任だと、私は思います。

「平和」にしろ「環境」にしろ、過去の失敗を振り返れば、どうすべきか簡単に分かります。
勇気を出して、誠実に、行動しつづけたいです。
「平和を軽く考える大人にはなりたくない!」と強く思います。

ロシアのウクライナへの侵攻で、200人もの人が亡くなっています。3人の子どもも犠牲になっています。
ウクライナの人達は武器を持って戦う道を選んでしまいました。

ロシアの間違った行動で、「武器がなければ侵攻される」という考えに、人々が陥ってしまうのではないかと、心配になります。

武器では平和は築けない!




峠三吉のこと

『行李(こうり)の中から出てきた原爆の詩』に掲載されている詩は、戦後40年して見つかった峠三吉(「ちちをかえせ ははをかえせ…」の作者)の未整理資料に入っていたものだそうです。

28歳の時に原爆を体験し、侵略戦争の本質を知った峠三吉は、戦後、全力で青年運動、文化運動、憲法普及活動などに取り組みました。

峠三吉は、戦後、平和国家として出発したはずの日本が、朝鮮戦争に加担する姿や米大統領の「原爆使用」の声明に、世界の未来を憂え、『原爆詩集』を刊行します。

さらに、苦しみやさみしさを心の底に押し込めて生きている子ども達の声を届けようと、奔走し、たくさんの子ども達の詩や作文を集めたのでした。

しかし、峠三吉は若いころから肺結核を患っていました。
命を賭して平和を願い、占領軍の弾圧に屈せず、最期まで活動を続け、36歳で亡くなりました。

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