祖父の足は、石のようだった

2月23日(日)。午前中に山口から来られた方のお話が私の心にずっと残っています。

「もしかしたら、私の祖父もその経験をしたのかもしれません。」

私が、兵士の話をしていた時のことでした。
いつものように、兵士の荷物の重さを体感してもらい、特に歩兵の話をしていました。

最近必ず話すのが、『大陸打通作戦』の話。
太平洋戦争も後半戦。日本が敗け始めてからというもの、日本と南方を結ぶ輸送船が次々と撃沈されていました。
そこで考えられたのが、「海路がダメなら陸路がある」という参謀の考えで、徒歩で大陸を北から南へと向かうことになりました。

毎日毎日、3~40㎏もある荷物を持ち、2~30㎞も歩くのです。

足の皮は破れ、傷口から細菌が入り、蜂窩織炎(ほうかしきえん)を起こす兵士も少なくなかったそうです。
自分に置き換えて考えた時、たくさん歩いて足にまめができたり、靴と擦れてかかとの後ろの皮が剥けたりした経験を思い出します。
痛くて痛くて、できるだけ傷口に刺激を与えないように、歩くことをしばらく控えたり、サンダルで過ごしたりしたものです。

でも、兵士は休むわけにはいきません。命令は絶対です。

この行軍を体験した兵士のことが書かれた本に、手榴弾で自殺する兵士が多くいた話が出てきます。
若い兵士が多かったと書かれています。
痛みだけでなく、いつまでたっても故郷に帰られない虚しさや、永遠に続く苦しみに、生きることに希望を見出せなかったのではないかと、その心情を想像すると苦しくなります。

休憩する兵士~『毎日グラフ』より~

来館された方のお祖父様は、満洲からシンガポールまで歩いたそうです。
長春からシンガポールまでの陸路の距離を調べてみました。

ナント!8000㎞以上です。

「私は、祖父と寝ていたのでよく覚えているんですよ。祖父の足は石のように硬かったんです。」

さらに続けて言われました。
「それと、祖父は、いつも小さくなって寝ていました。」

恐らく、兵士として従軍した時の経験が習慣として身に付いてしまったのでしょう。

改めて、「今」の満たされた生活のことを思いました。
そして、その「裏」にある見えないものに思いを馳せました。

先人の体験や思いを忘れてはならない。
注意深く、物事を見極めなければならない。
そして、生まれてきた命が輝ける社会を望み、諦めずに追い求めよう。

そう、心を新たにしました。

そして、お祖父様は、シンガポールで片腕を失ったそうです。・・・

各国の権力者たちに強く望みます。

戦争につながる一切のものを排除してほしい。
そして、戦争を起こさないためのあらゆる努力をしてほしい。

一庶民として無力感を感じつつ、でも、諦めない気持ちを、雪を見ながら確認した一日となりました。

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