若松市忠霊塔での慰霊祭への思い①

2025年6月8日(日)。

若松区の高塔山中腹にある『忠霊塔』で慰霊祭を開催することができました。

『慰霊祭』といっても、式典があるわけでも、僧侶による読経があるわけでもありません。
ただただ、平和な現在の社会を生きる人たちが、平和に感謝し、また、この平和をつくるきっかけになった戦争による犠牲者に手を合わせる場を設定したというだけです。

忠霊塔の中(「内陣」と、若松市史には書いてあります。)が一般公開されたのは、はじめてかもしれません。(忠霊塔建設の声が上がって、今年で70年。近所の年長者に尋ねると、
「慰霊祭のようなものをしていた時期があったようだけど…」
とおっしゃいます。でも、はっきりとしたことは分からないままです。
今後調べていこうと考えています。)

私が、この忠霊塔「内陣」を一般市民に開放しようと思い付いたのは、昨年の秋のある出来事がきっかけです。

夜中の2時ごろ目が覚めたかと思うと、この内陣の中に書き綴られている『戦争による犠牲者』のお名前が私の頭をぐるぐる回り出したのです。

ビックリしました。

「あぁ~。みんなに知ってもらいたいんだなぁ。」

私は、そう思いました。(非科学的でスミマセン💦)

忠霊塔への通路

手入れされず、ただただ伸び放題になって鬱蒼とした木々と藪に飲み込まれるように、忠霊塔と内陣がありました。
『怖い場所』
と、地元の人が感じてしまうのも無理もありません。

前にもお伝えした通り、中には、戦争で命を奪われた人々のお名前が、年齢問わず、肩書問わず、丁寧な文字で綴られています。

戦争が無ければ、奪われることのなかった命です。

尊い命の犠牲と引き換えに手に入れた平和。・・・
今の平和を生きる私たちの中のどのくらいの人が、
その事に気付いているのだろうか。
考えているだろうか。

大切な人を失った人たちが、
戦争によって体や心に傷を負った人たちが、
戦後の厳しい日本でどのように生き、
平和を築いてきたのかを
今の平和を生きる人たちのどれだけの人が
考えているだろうか。

私たち平和な中で生きさせてもらっている者は、
過去の事実を知らなければならない。
思いを馳せなければならない。
これからも平和をつないでいくために。

そんな思いで始まった『慰霊祭』への道でした。

若松遺族会の会長さんに相談に行った時に、作った計画表。

見ながら思い出しました!
8月15日に開催しようと思っていたことを。
そして、
2200人分ものお名前を一人ずつ読み上げようと考えていたことを。


「呼んでもらえたら、うれしいんじゃないかな。」
と思って(笑)。

今考えれば無謀なことだけど、いつか、いつか、叶えたいと思っています。

(つづく)

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