若松市忠霊塔での慰霊祭への思い③

『遺族の家』プレート。
北九州平和資料室 TICO PLACEの展示室入口に貼っています。
近所の農家の方が、「解体した家の材木を焚き物として使っているんだけど、その材木にあったから持ってきたよ。」と、わざわざ持って来てくださったものです。
兵隊として戦死した遺族の家には、このプレートが貼ってあったそうです。

資料室の中には、『北九州平和資料館』から受け継がれた『遺族の家』プレートが展示してあります。
この下に、説明書きがあります。
『中国侵略の戦争で戦死。ところが遺族にその報告もなしに靖国神社に合祀された 陸軍軍曹 懸谷氏。敗戦後10年経って、突然の合祀の通知が…。あまりの勝手さに遺族も唖然。そして激怒。』
と。
「総力戦」(※1)で戦った戦時下での社会では、菊の紋の入った『遺族の家』プレートのある家庭は、「名誉なこと」「立派だ」と思われたのでしょう。
でも、大切な人を亡くした『遺族』にとって、『名誉』『立派』では済まされなかったのではないでしょうか。
『国のため』『天皇のため』という当時の社会の中でも、
そこに生きている人間は人間。
心がある、今と変わらない人間です。
大切な人と二度と会えない悲しみと寂しさと未来への不安など、とてつもなく大きな『心の苦しみ』に襲われたのではないかと私は思います。
その上に、『生活の苦しみ』が覆いかぶさって来る―――それが、『名誉』や『立派』では済まされない現実だったのではないかと、私は想像します。

そうやって、できる限りの想像力を使って当時の遺族のことを考えた時に、その苦しみを背負った人が、「こんなに」たくさんいて、その苦しみの矛先を『国』に向けたらどうなるか。
と、考えてしまいました。
当時の『逆らえない社会』の状況から考えたら、暴動は起きないにしろ、「お国のために天皇陛下のためにがんばろう!」という気持ちは下がる―――「戦意高揚」ならぬ「戦意消沈」になってしまうのではないでしょうか・・・
「なるほど!そうならないために、いろいろなモノ(※2)を贈ったんだ!!」

資料室にあるモノの意味することがストンと自分の中に入ってきました。
私が出会った『父親を戦争で亡くした遺族』には、大きく二つのタイプがあります。
●「護国神社に毎年お参りに行く」とか「靖国神社に祀られているのよ」と、穏やかに話をされる方
●「命を奪ったのは、『国』や『天皇』なのに、どうして靖国神社に祀られないといけないのか!」とちょっと怒った様子で話される方。(戦争のことを客観的に、歴史として学んでおられる方に多いです。)
靖国神社と言えば、政治家が参拝することがニュースで大きく取り上げられます。
―――何が問題なのかな?―――
明治以降の日本は、天皇を機軸に据え、近代国家をつくろうとしました。
赤子(せきし:天皇の子ども)として国民を統制するしくみをつくり、それまで「戦う仕事は武士」がしていたものを、「国民皆兵」(徴兵制にした)にしました。
そして、国を「強く」するために戦争を行ったという歴史があります。
その『国のため』『天皇のため』に戦って命を落とした人たちを祀ったのが「靖国神社」でした。
この靖国神社に、戦争を推し進めた戦犯(戦争犯罪人)が一緒に祀られたのです。
そのことが、日本軍に殺されたり酷いことをされたりしたアジアの国々の家族(日本でも)にとっては、『日本は反省しているのか?』という不信感を生みました。(だから、靖国神社に合祀されることを怒る遺族がおられるという訳です。)
さらに、政治家が参拝するということは・・・。
私たちは、
『日本が戦争を始めなければ、2000万人ものアジアの人々が死ぬことはなかった』
『菊の紋や日の丸を見ることで、家族の命を奪われた悲しい過去を思い出す人がいる』
このことを忘れてはならないと思います。
その上で、アジアの人たちと「仲良くする」努力をすることが平和を未来につなぐことになると私は考えています。

私は、若松市忠霊塔の題字が、靖国神社宮司の文字であり、内陣には菊の紋があり、皇后の句が刻まれていることを見ながら、何度も何度も考えました。
『靖国神社に祀られて、憤りを感じている方の気持ちや言い分を知っている私が、この忠霊塔で慰霊祭を開いていいのだろうか。』
と。
『なぜ戦争になったのか、なぜあのような悲惨な死に方をすることになったのかーーー
と、冷静に客観的に事実と向き合い、未来に生かすべきと考える私が、
この忠霊塔を公開すべきなのか。』
『戦死者が美化されるようなことがありはしないだろうか・・・』
と。
何度も一人で忠霊塔に行って、考えました。

亡くなった子どもたちの名前を見ながら考えました。
「あなたたちは、『靖国で会おう』なんて思わなかったんだよね。・・・」
大人の都合で人々が分断されたり、
命が平等に扱われなかったり。
そんなことより、
生きたかった命を未来に生かすことを私は考えたい。
「つながる」ことを最優先しよう。
亡くなった方々の名前を見ながら、心に決めました。(つづく)
※1「総力戦」・・・軍に所属する人だけでなく、国民全員で戦争をすること。
※2「モノ」・・・義手や義足、義眼など傷痍軍人が皇后陛下の名前で贈られたもの、また記章、従軍記念の盃など


