再会~過程で学ぶ~

もうひとつの再会。兵士・庶民の戦争資料館」の武富さんの集めた資料や子ども達の感想との再会

武富登巳男さんとの出会いは、新聞記事から始まったりました。27年前の夏休みのことです。

当時赴任していた学校では、2学期に社会科の公開授業を控えていました。新採2年目の私も、もれなく授業を公開しなければなりません。6年生。小単元名「15年続いた戦争」だったと記憶しています。

社会科や歴史とは受験の時くらいしか真面目に関わることなく生きてきた私にとって、「戦争」はほぼ「0(ゼロ)」からの出発でした。

当時の社会科の学習では、授業の中で「ゲストティーチャー」に話をしていただくことを積極的に取り入れていました。新採2年目の私はおそらく「まずは、ゲストティーチャーを見つけなければ!」と考えたのでしょう。

図書館に行きました。

確か、北九州市在住の戦争体験者の証言集のような本を見つけ、体験者の方に電話をしました。

電話帳で名前を調べ、同姓同名を見つけたら電話を掛け、ご本人であれば「お話を聞かせてほしい。」とお願いをし、出かけていきました。もちろん、ナビはありません。地図を見ながらの訪問!今考えると、20代の娘が・・・と、少々怖くなりますが、そんなこと、ちっとも考えていませんでした。

私のターゲットは、「外地」での戦争体験者でした。

当時の私は、「外地」の戦いの話を直接聞いたことがありませんでした。
知識もなく、正直、話の中に出てくる地名を聞いても、どこのことなのか、分からないような状態でした。

でも、直接話を聞くと、「感じる」ことができました。ーーー何というか、「戦争に対する思い」というのでしょうか・・・


いろいろな方がいました。

淡々と話す方、奮い立たせるように話す方、ほとんど話さない方、「あの戦争は、『聖戦』だったんだよ!」と強く言う方・・・


人の数だけ、戦争はある」ということに気付きました。


戦争体験者に話を聞きに行くのと並行して、新聞記事を集めていました。その一つが武富さんの作った「兵士庶民の戦争資料館」でした。

新採2年目の私は、夏休みもなんだか忙しく、「資料館に行ってみたいな。でも、時間が・・・」という感じでした。確か、宿泊の研修の帰りに「やっぱり行ってみよう」と、公衆電話から電話をしたのを覚えています。突然の電話にもかかわらず、「お待ちしています。」とお返事をいただきました。暑い日でした。

8月の暑い日の午後。武富さんは、汗をぬぐうこともなく私にたくさんの話をしてくださいました。ーーー


こうして迎えた研究授業。終わって、見に来てくれた友達から、慰めの言葉をかけてもらったのを覚えています。ーーー授業としては成立していなかったというわけです(笑)


でもその後、子ども達は、「語り継ぐ戦争展」を空き教室を利用して開くことになります。武富さんから借りた資料だけでなく、調べたことをまとめたチーム、紙芝居を読み聞かせるチームや戦時中の食べ物を作ったチーム、スゴロクを作ったチームなどもあったように覚えています。

17年たった今、当時の子ども達が書いた説明書と武富さんの資料と再会し、素直に感動しています。
●分かりやすい ●「人」が見える

武富さんの、あの温かく、そこに生きていた人間を感じさせる語り口がきっと、子ども達に「生きていた人」に目を向けさせたのでしょう。

いろいろと問題も起き、決して楽なものではなかったように記憶しています。でも、今、こうして振り返ると、私も子ども達も、多くの人に話を聴き、感じながら学んだんだと思います。だから、「私も何かしたい」と思い、行動を起こしたんだと思います。


新採2年目の多くの学びがあったお陰で、その後も子どもの主体性を意識しながら教育活動に邁進することができました。

でも、教育の在りようは、大きく変わっていきました。どう変わったか?ひと言で言うと、「不自由」「成果主義」かな。じっくりと学ぶ「過程」よりも、結果が明確な「点数」を大事にするようになっていったように思います。

教育の在り方に不安・不満を感じることが増えましたーーー。

コロナ禍でのオリンピックが近づいています。このまま開催され、大きな問題が起きずに終わったとします。そうなると、聞こえてくる声は、「盛り上がって、楽しかったね。」・・・
これでは、「終わりよければすべてよし。」的な、結果や見えるところだけを大切にする社会、人間になってしまう…。
そんな社会が「幸せ」とは思えません。それを心地よく感じる人間になりたいと、私は思えません。
オリンピックを開催⇒いろいろな立場の人やいろいろな場合を考えて、「もし、こんな時は…」もしもの時の対策をみんなで知恵を出し合って考える、そうすることで、一部の人だけが幸せを感じる、一部の人が我慢を強いられるというようなことがない、思いやりのあるやさしい社会が作られていくのではないでしょうか。

・・・この2か月ほど。ずっとそんなことを思ってきました。
このまま突っ走るのなら、せめて、終わった時に、総括して次に生かす姿勢を見せてほしい・・・


そんな大人の姿が、子ども達を育てるのではないでしょうか。

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