戦時体験者への聞き書き

13日(金)

河伯洞(芥川賞作家火野葦平が書いた兵隊三部作「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」の印税で、父金五郎が建てた家。)でのボランティアを終え、98歳のMさん宅へ。

3か月近くかけて、Mさんへの聞き書きをしてくださっているYさんから、「息子さんが来られているから、会わない?」と、連絡があったので、「とらや」の茂兵衛まんじゅうを買って、馳せ参じた次第。

ふりがな付きのYさん作成の「Mさんの戦時体験記」の確認作業。

「耳も目も利かなくなってねぇ~。」
と、大きな拡大鏡で活字を追いながら、Yさんの訂正を確認されています。

98歳のMさん。
記憶は鮮明です。
好奇心旺盛で、戦争の時代にあっても「自分」から湧き出る「意思」を持ち「行動」されてきた方だと、お話を伺うたびに感じます。

満蒙開拓団に入り、訓練を受けた時のお話の終わりに、
「親元から離れたかっただけなんだけどね。えへ。」

海軍に志願して青年将校になったお話の終わりには、
「陸軍がきらいだったんだよねぇ。えへ。」

と、かわいらしく(失礼な言い方で申し訳ないのですが)、大変謙虚に、おっしゃられるMさん。

本当に「人として」学ぶところばかりです。

そんなMさんから、当時の写真と寄せ書き日の丸旗を見せていただきました。

資料館が所蔵している日の丸旗には見られなかった「女性」からの言葉が入っていることに驚きました。

寄せ書きを書くのに決まりがあったかどうかは知りません。でも、目にする寄せ書きに、男性の名前や男性からの言葉ばかりなのに、
「女性は、書いていなかったのかなぁ?『戦う』=『男性』と考えられていたのかな?」
と、勝手に考えていました。

Mさんの日の丸旗の「女性」は、お義母さんでした。
幼いころに亡くなったお母さんの代わりに育ててくれた方。

捧げまつらん 君のみたてに」・・・

当時の親の気持ちと同時に、「自分らしく」生を全うしてきたMさんの姿に、本当に大事なものを見た気がします。

Mさんとの出会いに感謝。

そして、根気強く、「間違ったことを伝えないように」と対話を重ね、分からないことを調べてまとめてくださっているYさんにも感謝の気持ちでいっぱいです。

できた体験記は、資料室に置かせていただく予定です。

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