戦争とオリンピック
コロナ禍の中でのオリンピック開催についてどうすべきか。連日、新聞、テレビ、SNS上でもこの話題が大きく取り上げられています。
「オリンピック開催ありき」の政府の姿勢を見るたびに、戦争中の軍部の姿と重なって仕方がありません…。
「やめる」選択肢がない
太平洋戦争を始めた日本は、自国の軍事力がアメリカのそれに到底かなわないことに早くから気付いていました。
例えば戦車の話。
アメリカの戦車の装甲は、日本の戦車による砲弾を跳ね返してしまうほどのものだったそうです。
日本軍部はそのことに気付いて、「じゃあ、戦争をやめよう。」とはならなかった。・・・戦争をやめる選択肢はなかったんですね。だから、考えられたのが、「肉迫攻撃」だったそうです。
「肉迫攻撃(肉攻)」とは、爆弾を抱いた兵士による体当たり攻撃のことです。
つまり、兵士の命を犠牲にして、戦争を続けたということです。(その後、よく知られている戦闘機による「特攻」へと進んでいきます。…)
オリンピックをやめられない今の日本と似ていると思えてなりません。
オリンピックにかける考えや話し合いの時間やお金や施設・・・すべてをコロナの収束のために使ったなら、病院に行きたくてもいけない方、自宅で体調が急変して亡くなられる方、疲弊や不満の中で医療に携わる方々、今日、明日をどう生きていこうかと不安でいっぱいの方々、少なからず不安や不満を持って日々生活している方々、・・・すべての国民の命と健康と安心を、今よりも保障することができるはずです。
都合の悪い話には蓋をする・排除する
戦中の話をもう一つ。同じく戦車の話です。
従軍していた連隊長が、戦車学校長に「戦車砲の開発」を求める書簡を送ったそうです。「砲弾が的中しても、敵に何の影響も与えないような戦闘では、無駄死にが出るだけだ」と、恐らく現場からの切羽詰まった切実な訴えだったと想像できます。
この書簡が、『機甲』(1942年5月号)に掲載されるのですが、東条英機首相の目に触れて、不評を買い、7月号は休刊となったそうです。(「日本軍兵士ーアジア・太平洋戦争」吉田裕著)
つまり、自分たちの都合の悪いものは排除、隠蔽したのです。ーーーその裏には、権力に支配された忖度がある
これも今の日本の政治(コロナのことだけでなく、『加計・森友問題』『桜を見る会』…あまたあります)と重なって仕方がありません・・・
コロナに関して言えば、「専門家の意見を聞きながら決めていきます。」と言いながら、自分たちに都合の悪い意見を言う専門家の意見は、聞かない。次第に、自分たちに都合のよい、少人数の意見に止めるようになっていく。・・・
おかしいですよね? 今は、戦争中とは違います!
戦争中との大きな違いは、憲法が変わったこと。つまり、国の在り方が「民主主義」になったことです。
国の在り方を180度転換したのには、戦争での失敗があったからです。
だから、政治を司る人たちは、「多くの立場の意見を聞き、その上で話し合い、国民の幸福を願って、よりよく決定していく」姿勢が不可欠なはずです。
昨日の国会中継で、ある議員が訴えかけていました。
「亡くなった人の人数じゃないんですよ。一人ひとりに、人生があって、家族がいるんですよ。」
聞きながら、胸が熱くなりました。「やっぱり戦争中と同じだなぁ。」と確信にも似た思いをもちました。
資料館3階展示室の入口に、掲示させていただいています。恥ずかしながら、「戦争」のことを学んできて、ようやく気が付いたことです。
あの戦争が悲惨なものになった大きな原因は、「個」が大事にされていなかったことにあると思います。想像力の欠如です。そう考えると、
「個」を自分のことのように具体的に想像できた時に初めて、「平和」を築くために本気になれる!
と、私は思います。
病院で日々頑張っておられる医療従事者の方が、忙しい中、インタビューに答え、病院の現状を具体的に伝えておられるのをこの1年以上、テレビで何度も見ました。中には、涙をこらえながら訴えられている方もおられました。おそらく、「国民のみなさんに知ってほしい。」という強い気持ちから、取材を受けられたのではないでしょうか。
私たちは、できるだけ多くの方に思いを馳せ、国民の一人として、自分の考えを表さなければいけないのではないかと思います。
今朝は、テレビ番組が昨日の国会の話題を何度も取り上げていました。
「オリ・パラ開催が可能かどうかを見極める基準はいらないのか。」と問われた首相が、「国民の命と健康を守ることが私の仕事で、開催の前提だ。」と答えるのを聞くたびに笑ってしまいます。
いつも同じ応えだし、意味が分からない・・・(・_・;)尋ねている「基準」とは、具体的なものでしょう・・・
そういえば最近、「国会中継」のテレビ放映がありませんでした。
「追及されても説明できない姿を国民にさらしては、今度の選挙で不利になる。じゃあ、いっそのこと、放映を止めよう。」という声があったのかしら?と思わずにいられません(笑)
間違っていることに負けない自分でいたいと思います。