小学生の日記

大分県宇佐市在住の佐田宏規さんの戦争中の日記です。5年生の時のものです。
※展示はしていません。佐田さんがお持ちです。
佐田さんは、大分県の宇佐市で生まれ育ちました。学校の先生をされていたお父様の教えで、子どもの頃から日記を書いていたそうです。その貴重な日記を今も持たれています。北九平和資料館来館時に、お願いして、持ってきていただきました。
具体的に様子が書かれていて、経験していない私にも、どんなことをして日々を送っていたのか、浮かんできます。さらに、お父様のご指導の賜物でしょう。佐田少年の気持ちもよく分かります。軍国少年が「つくられた」ことが伝わってきます。
佐田さんにお願いして、平和を守っていくための大変貴重な資料として、使わせていただいています。
当時の軍国少年も、今は、知的で穏やかな尊老です。間もなく米寿を迎えられますが、執筆活動を続けられています。

お父さんが少國民の友を買ってくれた。空中戦の絵があった。敵機が主翼のつけ根から火をふきながらおちて居た。日本のはやぶさがぐんぐん敵の大へんたいにつっこんで居た。大きなてききがまっすぐに落ちて居た。今まい日こんな戦いがつづけられて居るのだと思った。 やたて宮に兵隊見送に行った。その中に、くにまるさんも居た。旗を持って居た。くにまるさんは、よかれんだ。みんなで六人も居た。みんなしがん兵ばかりだった。ぼくもしがん兵になろうと思った。帰りにかあちゃんとまるたけへ行って、ぼうしのもんをかった。 かあちゃんがすいとうにゆをいれて、べんとうをつくってくれた。急いで学校へ行って、本を入れて、やたて宮へ行った。ひだ先生が海軍のぼうしとふくと日の丸を持って居た。勇しかった。ひだ先生が、「さくやの、ほうそうで、サイパン島はきちくあめりかに、ふみにじられ、完ぜんに占りょうする所となりました。私は、あ●村と長みね村のため、力いっぱいはたらきます。」といった。えきまでみおくった。汽車の窓から「しっかりやれ。」といった。ぼくは、サイパン島のかたきをきっとうつと思った。