「思い」がエンジン

朝の連続ドラマ「おかえりモネ」を毎日楽しみに見ています。

昨日の話の中に、「『何もできなかった。だから次は何かできるようになりたい』という思いが、自分を突き動かすエンジンになっている」みたいな言葉が出てきました。ーーー自分と重ねて涙がこみ上げてきましたーーー

27年前の夏休み。私は6年生の担任。2学期の『研究授業のために』、戦争体験の載った本を読み、話を聴きたいと思った方にイチかバチか電話をして、お話を聴きに伺っていました。

その時に出会った人の中に、末次さんという方がおられました。

末次さんは、他の方と違って、ほとんど話をしてくださいませんでした。じっと座っておられる、その姿を今でも思い出します。
でも、ただ座っているのではない、斜め下に目線を落とし、「思い出している」感じは、無知な私にも分かりました。でも、一体何を思い出しているのかは、分かりませんでした。

当時の私が、何を尋ねたのか、全く覚えていません。ただ、末次さんのあの姿が脳裏に焼き付いていて、ときどき思い出すのです。

末次さんは、帰り際に、2冊の本を私にくださいました。

末次さんの詩集

末次さんは、戦争での体験を詩に表していました。

家に持ち帰り、さっそく拝読。

『狂った下士官』という詩を読んだ私は、末次さんが話すことができなかったその心情を察し、泣きました。

(前略)
だが 心なき下士官は眼を光らせて
大木の青年を中心に整列している兵らを
見廻しているうち ふと私に眼を止めて
ーーーおい お前一番に突こうと思わんか
と言うので 思いません と答えると
ーーー何 思わん? 腰抜け奴
   よし 思わん奴が先に突け
と押しつけられ これ以上 上官に叛けず
私は心に眼をつぶって キリストのようにしている兄の方を銃剣で 突き刺した
手応えのない豆腐の心臓と 首に付けていた
十字のネックレスから血が吹いて
流れだした
私は己が心臓を突き刺した思いで 胸苦しく
許せ! と心に叫んだ 
(後略)

ゲリラと化したアメリカ兵を捕まえて張り付けにし、命令に逆らえず刺し殺した・・・

恐らく、末次さんにお会いするまで、「戦争」を具体的に想像することができていない自分だったと思います。
衝撃でした。 「この平和な世の中に、こんな辛い思いをした方が一緒に生きているんだ・・・」と、戦争による心の傷に思いを馳せ、それまでの自分をふり返り、恥ずかしくなりました。


それから10年ほど経った頃でしょうか。結婚し、子どもを産み、忙しい日々を送っていたころ。

休みの日に実家に帰った時に、母から、「『すえつぐさん』っていう人から、電話があったよ。」と言われました。

ちょっと考えて、「末次さん」を思い出しました。でも、その時の私は、電話を掛けませんでした。忙しさを理由に、「あとから」「あとから」と思っているうちに、かけるタイミングを逸してしまいました。ーーーーー

かなり時間が経ってかけた時には、通じませんでしたーーー。それっきりです。ーーー
今、毎日のようにその末次さんのことを思い出します。私に何を伝えたかったのだろう・・・と。悔いるばかりです。


以前、受け持った子どもの保護者から言われたことがあります。
「子ども達に悲惨な戦争の話なんてしないでください。」
と。
それでも私は引き下がりませんでした。「平和だから、幸せに生きていけるんです。この平和を未来につないでいくのは子ども達自身。戦争の悲惨さを知らなければ、戦争を憎み、平和を願う気持ちが弱くなります。そうなった時、平和は続かないかもしれません。…」と。

私の中には生きていたんです。

「これからの平和のために、『ちゃんと話しとかんな』と思ったんです。」
と、『思い出したくない』と封印していたご自分の体験を、様子が分かるように話をして下さった年長者の方々の「思い」。
報酬があるわけでもないのに、『平和を守るために』と活動をされている年長者の方々の「思い」。・・・

私の中には、人生の大半を戦争に捧げた(奪われた)方々の「思い」が生きていたんです。


そして、その「思い」を大事にできなかった瞬間があったという自分への負い目が、「戦争を体験した方の思いを大切に生きたい」という「思い」を強くしました。それが私を動かすエンジンになっているのだと思います。

『研究授業のために』という不誠実(?)なスタートではあったけれど、たくさんの戦争体験者の話を聴く機会を頂き、今、高性能なエンジンではないけれど、なんとか私を動かしてくれています。感謝。


末次さんの詩集を再度読んでいたら、すごい発見がありました!今度資料館でお話して頂くことになっている中村さんとの共通点を見つけたんです!  この話は次回・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


前の記事

戦中・戦後の生活

次の記事

平和をつなぐということ