「軍都」と呼ばれていた北九州市

平和資料館の手伝いをさせてもらうようになって、たくさんのことを知りました。

小倉に西日本最大の陸軍造兵廠(ぞうへいしょう…兵器工場)があったこと。水上特攻基地があったこと。山々に高射砲陣地があったこと。日本各地から兵隊として集まった人々が、戦地に向けて出発した港が門司港であること。馬もたくさん戦地に送られたこと。・・・(「平和学習教材」コーナー)

小学生の時、「八幡に製鉄所があったから、空襲があった」と教えてもらったことくらいしか記憶にありません。自分が生まれ育った町が「軍都」と呼ばれるくらい、戦争をする上での重要な都市であったことを知らずに育ちました。

北九州市各区の主な戦争遺跡

私は、近所に住んでいた、片手のないおじさんをからかっていました。おじさんは子どもの私たちに、笑顔でおしゃべりをしてくれました。---大人になって知りました。おじさんは、戦争で手を失くしたと。  謝りたくても、おじさんは、もういません・・・。

「子どものころから、もっときちんと教えてほしかった。」

というのが、半世紀を生きてきた今、自分の人生をふり返って思うことです。自分が知らないうちにどれだけの人を傷つけていたのだろう・・・と、苦しくなります。今の世の中を見て、戦争で苦しんだ人たちは、どう思うのだろう・・・と、考えます。

私は、戦争の時代を知るチャンスをもらえて、幸せです。

知ることで

感謝の気持ちが生まれました。

偏見で人を見ないように、気を付けるようになりました。

見えないところを見ようとする(想像する)ようになりました。

政治に関心を持つようになりました。

考えるようになりました・・・

まあ、ちょっと豊かな生き方ができるようになったかな。

考えていなかった自分がおこがましいですが、子ども達に知って、考えてほしいと思っています。

きっと、自分の人生を支える力になると思うから。

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