満州国旗と当時の世界地図
★当時の近隣諸国との関係を知ることができる
●満州国は、1932年(昭和7年)3月1日に、日本政府と日本陸軍関東軍によって生まれた国。国際連盟で承認されていない※「関東軍」⇒日露戦争後にできた「(株)南満州鉄道」の鉄道を守る守備兵として置かれた日本の軍隊が始まり。1919年に「関東軍」と改められ、のちに独断で軍事行動を起こすようになった
●満州国を認めてくれないことに腹を立て、日本は国際連盟を脱退
●世界が大恐慌に見舞われた中で、日本が国の存亡をかけて行った政策の一環。表向きは、「五族協和」(漢民族・モンゴル民族・朝鮮民族・満州民族・日本民族)=「みんなで仲良く協力しよう」という名目で。本当のところは、「大東亜圏」(領土拡張)をつくる足場として、満州国が建国された。(領土拡張⇒資源確保、北中国⇒ソ連のアジア進出を妨げる)
●日本が掲げた「五族協和」の考え方が分かるような満州国旗(写真)
●日清戦争、日露戦争で得た台湾、樺太の南半分、また、韓国併合で植民地にした朝鮮半島が、日本の領土として同色で塗られている
●その頃の東南アジアの国々は、欧米大国による植民地になっていた。「植民地支配から解放されたい!」と思っている国の中には、日本に期待した国もあった。しかし、日本は、いざ宗主国(支配している側)を破ると、解放どころか、その国の国民を兵士にするなど、その国を支配した