「あなた」を考える

一昨日(9月1日)、102年前にあった関東大震災での虐殺事件の追悼活動に参加させていただきました。
マイクが回ってきたのですが、まだまだ自分の言葉で語るまでの学びができていないため、詩を朗読させていただきました。
虐殺された「あなた」のことを考える詩です。
私は、「あなた」を戦争によって悲しい思いを強いられた(ている)人を思いながら読みました。
6月17日ぶりのブログです。
チョ~忙しかった、夏の「平和のための行動」がひと段落しました。
この間、戦後80年ということもあってか、例年以上にマスコミが戦争の真実を取り上げていたように感じています。
見たい番組を録画するばかりで視聴する暇がなく、自分の中でアップデートできない不満や焦りの中での活動でした。(もちろん、平和学習や出張展示、講演などで参加してくださった方々の反応に、満足感や達成感はありましたが。)
そんな中、8月下旬は、レポート発表のため東京方面へ。
せっかく行くのだからと、かねてから訪ねたかった丸木美術館へ。

改修工事のため閉館~




長く・広く・深く見る目を


丸木夫妻、そして位里の母スマの『命への思い』は、私の鬱屈とした心を慰めてくれました。
そして、少し離れた所にある「痛恨の碑」を発見。ーーー知りませんでした・・・。ここでも丸木夫妻の心を感じました。
それから向かったのが、東京都荒川。関東大震災の時に多くの方が避難してきた場所。
そして、虐殺された朝鮮人の方々が埋められていた場所。・・・




『韓国人・朝鮮人であることを理由に殺害され、遺骨も墓もなく、真相も究明されず、公的責任も取られずに86年が過ぎた。この犠牲者を悼み、歴史を省み、民族の違いで排斥する心を戒めたい。多民族が共に幸せに生きていける日本社会の創造を願う、民間の多くの人々によってこの像は建立されました。』
胸に刻み、次に向かったのは、慶應義塾史展示館。
資料室に届いた資料の中に挟まっていたチラシが私の頭から離れなかったのです。

兄妹5人。
現在と変わらないような幸せな日常の中で成長し、




上3人は、全員慶応義塾大学に通い、全員、戦死してしまいます。
東京から帰って来て二日後。韓国に行きました。(日本に植民地にされていた朝鮮のことを調査研究されている方に、お声かけ頂きました。感謝。)
天安にある「記憶と平和のための1923歴史館」に行きました。
関東大震災の際に起きた家屋の倒壊、火災、多数の死者が出たこと。
そして、そんな中で起きた流言飛語から、軍や自警団、一般住民による朝鮮人や中国人、社会主義思想の日本人が虐殺されたことが展示されていました。



このようなおぞましいことを起きた理由を考えながら展示を見ました。
根っこにある「差別意識」「人権意識の欠如」。
帝国主義(自分の国が一番)という考え方と組織作り。
多くが「流される」中で、日本の責任を問う声を上げた人がいたことに、希望を感じました。
独立記念館にも行きました。









日本の植民地としての朝鮮半島での人々のくらしの様子、朝鮮の人々の日本支配に抗う様子が、大変分かりやすく具体的に、当時の資料を示しながら説明されていました。(あまりに展示がたくさんあって、時間が足りませんでした…)
私たち日本人は、明治以降の歴史を知らなければいけないと思いました。
そうすることが平和をつくる力になると思いました。
教員を早期退職して、たまたま平和資料館に関わるようになって、7年が経とうとしています。
資料館に展示しているものの名前も、歴史も、出来事も・・・情けないくらい知らないことだらけでした。
今もそうです。知らないことだらけです。
でも、多くの方が声をかけてくださって、知らなかったことを一つ一つ「知る」ことができています。
「知る」ことが「平和をつくる力」になるという考えは、今も変わっていません。
むしろ、強くなっていることを感じています。
特に、歴史を知ることは、現在と重ね合わせながら気付くことが多いです。
●「防衛のため」「国を守るため」という理由で、戦争に近づいていくこと
●国が教育に介入し始めること
●不景気になると戦争(軍需産業)に手を伸ばすこと
●不景気になると排外主義(外国人が悪い)が台頭すること
●言論よりも暴力(武力)が優位になること(シビリアンコントロールが効かなくなる)
●国民の自由を奪う法律が作られていくこと
●「一人一人の命」よりも「国」が大切にされるようになること
●「一部の犠牲は仕方ない」という考えになること
●国民のくらしが苦しくなること(生活するだけで精一杯の毎日になる)
●「防衛費(軍事費)」が国家予算に占める割合が大きくなること・・・
考えたら、まだまだ出てきそうです。
今、私がこの夏を振り返って恐ろしく思うことは、上に挙げたような戦前との「重なり」がどんどん増えていること。
そして何よりも、
戦後つくられた「国民を護るための憲法」が
「平和を護ってきた憲法」が空洞化していっていること。
そして、
戦後80年。戦争に関するたくさんの報道があったにもかかわらず、
現在の日本の「防衛」という名の「軍事化」の具体的な様子が全く報道されていなかったこと。
私たちは今、時を越えて、
「あなた」がどんな人なのかを
「わたし」と重ねながら
考えなければならないと思います。
その想像力を
「現在」への怒りに 行動に
変えなければならないと思います。
2025年9月1日。
102年前のおぞましい出来事について、「あなた」を想像しながら考え、
二度と同じ轍を踏むまい。
と、強く思うことができました。
私は、民の力を信じたい。


