「お父さんの背中はごつごつして痛かった」
2022年5月14日(土)。4回目の平和のための学習会を行いました。
参加者は、子ども10人。大人7人。
学習内容は、八幡大空襲を体験された杉野慧子さんのお話を聞くこと。
そして後半は、戦争の世の中を平和な世の中に変えた「日本国憲法」について知ること。でした。
杉野さんは、1945年8月8日の八幡大空襲を小学2年生の時に体験されました。
家のすぐ横に爆弾が落ち、お母さんとお姉さんと家を飛び出します。緊急時にと準備していたリュック(缶詰・とっておきのお米などを入れていた)をからうこともできず・・・
「辺りは、真っ暗。雨のように焼夷弾が落ちるんです。下を見たら、火の海。お母さんの顔を頼りに桃園球場を目指しました。・・・」
途中、杉野さんのお姉さんがはぐれてしまいます。・・・どんなにか心配だったことでしょう。
何とか球場にたどり着いた小学2年生の杉野さん。小さな瞳でしっかりと見ています。
美しく元気に咲いていたヒマワリの姿が変化する姿。
花尾中学校の中が真っ赤に燃える様子。
桃園球場の土手の中を火の粉がぐるぐると回り始め、そのうちに竜巻のように回る現象。
お母さんのもんぺに火の粉がついて焦げ始める様子。・・・
77年近くも前の、それも幼かった時のことを具体的に覚えておられることに、その体験が忘れられないものであることを強く感じました。
住む家を失った杉野さんは、親戚を頼って、八女に住むことになります。
汽車の切符を手に入れるまでは、防空壕で暮らしたとのこと。食べ物はお父さんが弁当箱にもらって帰ってきた入り大豆のみ・・・
ようやく汽車の切符が取れて、窓から引っ張られて乗り込むような状態の汽車に乗って、八女に向かいました。けれども、途中、線路が破壊されている所があり、歩かなければならない所があったそうです。
その時、小学校2年生だった杉野さんをお父さんがおぶってくれたそうです。
「お父さんは、一番小さい私をおんぶしてくれたんです。でもね、お父さんの背中はごつごつして痛かった・・・。
食べる物がなくって、食べていないから、痩せてたんですね。」
私は、痩せているお父さんが、杉野さんをおぶっている姿を想像しました。
途端に、涙が溢れてきました。
「家族を守らなければ」
お父さんはきっと、その一心だったのではないでしょうか・・・
先の見えない不安でいっぱいのお父さんの気持ちとやせ細った体・・・
拭いても拭いても涙が溢れてきます。
お父さんの姿と同時に、たくさんの戦争で苦しんだ人々の姿が浮かんできます。・・・
始めから、凛とした声で、訴えるように力強くご自分の体験をお話していた杉野さんでしたが、お父さんの背中で感じたことを伝えるうちに、声がふるえて涙声になっていました。
「痛かったぁ。痛かったけど、『痛いけ降ろして』とは言わなかったねぇ…。」
涙が止まりませんでした。
思い出すと、今も涙が出てきます。
忘れちゃいけない。こんな思いをした人たちのことを。
そして、
こんな戦争を起こしてはいけない。
戦争を起こさせないようにするための方法をみんなで考え、行動しなければ!
と、強く思いました。
杉野さんが思い出したくないことを私たちに話してくださったお陰で、あきらめない心が膨らみました!
感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。