戦争と教育~中村政夫さんの原点
北九州から新潟県の佐渡島まで、車で来ました。途中、時間が許す限りではありますが、寄り道をしながら。
まずは、山口県大津島にある「回天記念館」を目指したのですが、時間に余裕ができれば「防府天満宮に寄りたい。」と思っていました。ツレが居る旅なので、思い通りにはできません(笑)。
防府天満宮にどうして行きたいか。―――それは、10月23日(土)に、語り部として来てくださる中村政夫さんが、通信兵(電信兵)としての訓練を受けた場所だから。同時に、あの戦争で犠牲になった方々に思いを馳せ、慰霊したいと思っていた場所だから。
ほんの少しの時間のゆとりができたので、わがままを言って、防府天満宮に寄ってもらいました。
走って記念碑を探しました。
見つけました! 「海軍少年電信兵の碑」と書いてあります。
海軍への志願は、14歳からでした。碑文にもあるように、「14,5歳を中心とする少年たちの多くが、意を決して」海軍に志願したのです。
ちょっとドキドキしながら中村さんのお名前を探しました。ーーーありました!
当時、大分に住んでおられた中村さん。「大分県」出身者の中にお名前がありました。
通信技術を徹底的に叩き込まれたこと以外に、ハンモックの訓練、カッター訓練、精神注入棒による軍人への改造・・・そして、寒さによる肋膜炎の発症。短い時間ではありましたが、中村さんに聞いたお話が次々に浮かんできました。
現在の中村さんの顔とともに、入隊したころの幼い中村さんの顔が思い浮かび、そして、多くの少年の顔が浮かび、涙がこみ上げてきました。
佐渡に着いて、時間ができたのでブログを書こうと写真を整理していたら、「海軍少年電信兵の碑」といっしょに撮っていた、横にあった碑が出てきました。慌てていたので、とりあえず撮っていたのでした。
予科練(優秀な航空兵を育てるために作られた制度)生の碑のようです。
「13歳未満」の言葉に、今、驚いています。今でいうと小学生です。「正しいこと」と信じて志願したのでしょう・・・。
教育の功罪を省み、「戦争」を憎み、なぜ「戦争」が起きるのかを多面的に知り、「戦争」が起きないように考え行動することができる人間を育てる教育を、大人が意識して行っていかなくてはいけないと、改めて確認しました。
たくさんの溢れる思いを込めて、手を合わせました。