外地に行った兵士たち
この写真、何をしているか、分かりますか?
昨日の投稿で、お父さんが兵士になったことを考えていたら、兵士が行軍(→NHKアーカイブス「戦争証言」)している姿が浮かんできました。
上の写真は、兵士が橋脚となって、橋のない川に橋を架けて川を渡っているところ。
資料館には、この様子が映っているDVDがあります。---衝撃でした。
「外地の兵士」といったら、戦っている姿しか、思い描いていなかったから。
「川から上がって、濡れた服や靴は乾かしたのかなぁ。」「着替えはあったのかなぁ。」「臭くなるだろうなぁ。」・・・と、考えてしまいました。
所属した部隊によってさまざまだったようですが、日本の兵士の移動手段は、基本「歩き」です。
「歩く」といっても、今のように舗装されている道ではないでしょう。道なき道を歩いている記録写真や映像を見たことがあります。
また、散歩ではないので、手ぶらで歩くわけではありません。
普通に考えたら、生きるためには、「水」「食べ物」が必要です。生水は絶対に飲んではいけない。と言われていたから、湯冷ましを水筒に入れていたのかな。乾パンと少量の米を持っていたのかな。「現地調達」になっていれば、荷物にならないとしても、調理する道具が要るな。寝る時に掛けるもの(毛布)も要る。タオル(手ぬぐい)や下着など生活用品、ヘルメットや銃剣など戦う道具。・・・所属する部隊、場所、時期など、その境遇によっても持ち物も違ってくるだろうなぁ。
資料館の資料によると、自分の荷物だけで、占めて30~40㎏ほどあったと考えられています。(資料館では、4分の1くらいの重さの背嚢を背負う体験ができます。)
車と馬が荷物を運ぶ役目をしたと聞きますが、人力で運ぶことも多かったようです。
さらに、戦いに行っているのだから、砲台や砲弾などの「武器」が要ります。資料館に砲弾が置いてあるので、持ってみると分かります。その重さが。
砲台を分解して運ぶ
・・・考えれば考えるほど、兵士というものの凄さを感じます。そして、悲しくなります。「コレをいくつ運んだんだろう…」と、当時の人への敬意が湧くと同時に、「こんなことに全力を尽くさなければならなかったなんて、もったいない…」と思ってしまいます。
実際には、十分な食料がない中での行軍は、想像を絶する過酷なものだったようです。(吉田 裕著「日本軍兵士」に詳しく書かれています。)
何百キロと歩いた部隊では、半数以上の兵士が亡くなったそうです。その理由は・・・
●泥水を飲んで下痢になり、栄養失調になる
●赤痢、コレラ、マラリアなどの病気になる
●苦しさによる自死
「お国のため」「天皇陛下のため」「家族のため」といって、戦って死ぬのではないのです。
同じようなことが、南方へと送られた部隊でもたくさん起きたそうです。
死者の半数以上。乗っていた船が沈んで死んだ人の数も入れると、7割くらいは、戦いによって死んだのではないと考えられています。上で紹介したNHKアーカイブスで紹介されている「静岡歩兵第34連隊」では、4102人のうち、2025人が戦死。うち、8割が病気、自殺だったということです。
生きて帰った元兵士が、証言の中で言っています。
「無駄死にだったと言いたくない。死んだ仲間のことが無駄だったなんて・・・。」
「無駄死に」にしないために、今、そして、未来に生きる私たちが、平和を守るためにどうすべきか考え、行動していかなくてはいけないのだと、改めて思います。
※5月のブログの再投稿です