軍服が平和をつなぐ

「劇の練習中に自分たちも感動して泣いてしまうくらい思いを込めたので、ぜひ、お客さんには『平和』というものが果たして何なのか。山本幡男はなぜ、希望を持ち続けたのか。考えながらこの作品を見てほしい。」~生徒の言葉より~

12月16日(土)。平尾台にある子どもの村小・中学校に、子ども達が創ったという劇を観に行った。

実は、今からちょうど一か月前の11月16日(木)。子どもの村から子ども達(劇作りに参加している中学1~3年生)が戦争のことを学びに来た

シベリヤ抑留のことを劇にすると聞いていたが、自主的に学ぶ子ども達である。
私が知っているシベリヤ抑留の知識を話したところで、何の役にも立たない気がして、少々困っていた。

せっかく劇をするのなら、その一点だけを見るのではなく、「広く」「長く」見てほしいと思った。
「どうして『シベリヤ抑留』のような悲しく辛い出来事が起きることになったのか」を考えてほしいと思ったのである。

そこで、大雑把だが、明治からの歴史と日本が他国にしたことを話した。

その後、自由に展示を見る時間を設定。個別に話をしていると、ふと、私の脳裏を過った。

「劇で、軍服を使ってもらえないだろうか―――。」

思えば9月。

夏の疲れもあり、資料室を休館し、館内の整理をしていた時のこと。
門司在住の方から、たくさんの軍服を寄贈して頂いた。

3日間ほど干して、

製造場所や年式、大きさを記録して、

   

収納場所が無いので、衣料用の圧縮袋に入れて、屋外に・・・

その時に、

「飾っていても仕方がない。学校などで使ってもらえるようにしよう!」

そう、思ったのだった。

まさか、こんなに早く願いが叶うとは!

軍服もいっしょに記念撮影!

その衣装を試しにほかの子が着た時、言葉ではうまく表せないが、ただ服を着ている感じではなく、何となくオーラのようなものを感じた。不思議な気分だった。当時の人から「頑張ってね。」と言われているような。考えすぎなだけだろうか。 

~生徒の劇つくりの記録より~

劇が始まった。

軍服を着た子ども達を見た瞬間、私の中で何かが起きた。

体が熱く、目の奥の方がツーンと痛くなり、話の内容とは異なるものが次々と頭の中を巡る。

戦争当時、この軍服を着ていた人。
シベリヤだけでなく、従軍したすべての場所で、この軍服を着て何を経験し、何を感じ、何を考えていたのか。
今を生きる私たちに対して、何を言いたいのか。

戦後80年近くもこの軍服を捨てきらずにとっていた人の思い。
平和のために、こうして活用してもらえていることをきっと喜んでくれていると思う。

でも、一方で、

今も無くならない戦争、
当然のように軍拡を推し進める日本の権力者たち、
報道の自由を奪われているのか?国の一大事と言えるような情報を進んで報道しないメディア、
無関心にさせられた国民、
自ら調べ、考えようとしない、噂や偏見、同調圧力に弱い国民・・・

でも、一方で、

目の前で演じる子ども達は、全く異なる。
自ら調べ、自ら考えている。

自分たちで話し合って、どんな劇をするか、だれがどの役をするかを決めた。

自分の思うようにいかないこともある。
でも、他者の意見を聴き、自分の意見を伝え、その上で考える。

時には我慢する。

自分を見つめ直すこともある。

生徒の作った本~劇を創る過程が見える~

そんな、『時間のかかる』経験が、人間として、大切な『力』を育てるのだと思う。

それは、目には見えない。
数字でも形でも表すことができない。

『自分を信じる力』だと思う。

そしてその『力』が育っていれば、自分を大切にして生きることができる。
『自分を大切にする』とは、自分を甘やかすことではない。
『自分が生きたい、自分が目指す姿』を大事に、生きるということだ。

だから、どんな場所で生きることになっても、どんな状況で生きることになっても、
自分を大事に生きることができる。
周りに流されることなどない。
置かれた場所で咲くことができるのである。

そして、

自分を大切に生きる人は、他人も大切に生きることができる

『教育』が変われば、世界から戦争がなくなる。

私はそう考えている。

劇後半。

子ども達の心のこもった白熱の演技に、
私はもう、涙をこらえることができなかった。

子ども達の姿に、『希望』をもらった一日となった。

「今の日本を、今の世界を、なんとかしたい!なんとかしたい!!」

この気持ちから逃げたくない。

諦めないこと!希望を持つこと!

自分と向き合う一日となった。

生徒が作った本 ~劇を創る過程が見えます~
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