どうやって平和になったんだろう

閉館までの日々を「平和のための(親子)学習会」の準備に費やしています。

TICo『知る』『想像する』『考える』」を常に頭に置き、学習を考えています。が、なかなか難しいです。小学校の高学年をイメージしながら、「分かりやすく」「自分で考えられる工夫を」と、頭を悩ませています。

今回は、「日本国憲法」のこと。準備をしながら、私自身、多くを知り、想像し、考えることができました。(一番自分の学習になっているようです(笑))



これまで、悲惨な戦争を伝えるために、積極的に戦争での事実を知り、想像してきました。だからかな。今回、

「どうやって平和になったんだろう???」

と、心から不思議に思いました。(「どうやって戦争になったんだろう」の逆バージョン。)

国家総動員体制で、

身も心も「戦争のため」であった日常

が、

平和な日常

に変わったんです。同じ「日常」でも、中身は正反対!!


「日本の国が一番強い!」「お国のために頑張るぞ!」

という気持ちが当たり前だったのが、

「世界の国と助け合っていく事が大事!」「自分のよさを生かし、幸せに生きたい!」

に、変わるわけです。

どんな魔法がかけられたんだ⁈



心から不思議に思っていたせいか、その魔法が「日本国憲法」と分かり、

日本国憲法、すごい!!

と、心からそう思いました!

いえいえ。「魔法」ーーー人間の力ではなしえない不思議な力を行う術。ーーーではないですね。

日本国憲法は、「人間の英知が結集したもの

だということに、今回、改めて気付かされました。

平和に、どの人も人間らしく豊かに、幸せを感じて生きていけるようにと、とてもよく考えて作られています。あんな悲惨な戦争の後だったから、本気で考えられたのではないかと思いました。

●アメリカ(連合国軍)に押しつけられた
●時代に合っていない

という意見も聞きますが、そんなことはないです。どうぞ、一度読んでみてください。

日本国憲法の誕生・・・戦争に負けた日本は、民主主義国家に生まれ変わるために、GHQから新しい憲法草案を作るように言われます。ところが、日本政府が作った案は、明治憲法とあまり変わらなかったのです(天皇主権で国民の人権保障も不十分)。失望したGHQは、日本の研究者や民間人グループの案(明治以降憲法の研究をしている人は各地にいました)を参考にして、憲法草案を作りました。
それから、帝国議会で審議して、独自の修正を重ねて(平和条項に関しては、鈴木義男さんが関わって審議されたことが以前、NHKで報道されていました)、最終的に、帝国議会で全会一致で可決して今の憲法ができたということです。

そもそも、押し付けられたかどうかを、良し悪しを決める基準にしていることが、私はおかしなことだと思います。

そのものをしっかりと知った上で判断することが大事!・・・何にでも当てはまりますよね。

「時代に合っていない」ということもしかり。

例えば「環境権」や「プライバシー権」みたいな、時代の変化と共に変わってきたことを条項として入れた方がよいのでは?と思いますが、13条の「幸福追求権」で対処していけるそうです。

何度も言いますが、ぜひ読んでみてください。(笑)

日本国憲法の考え方を国民に広めるために、取られた方法の一つに、中学1年生向けに作られた教科書「あたらしい憲法のはなし」作成、配布があります。

当時の考え方をほぼ180度変えるのですから、そりゃあ、相当考えられて作られたのだと想像します。それも、「子ども達に分かる」ように。

つまり、

とても分かりやすいです。

そして、

当時の様子が想像できます。

終戦当時子ども(5年生)だった、作家井上ひさしさんが、「誇らしくていい気分」を味わった、この日本国憲法。ですが、少々文言が難しい。よかったら、

「あたらしい憲法のはなし」を読んでみてください。(笑)



終戦から一歩一歩、いろいろな方法でこの憲法の考えを国民に広める努力を、理解する努力を、その当時生きていた「戦争を経験した人たち」がしたから、「平和が日常」と言えるようになったのだと、なんだか感謝の気持ちでいっぱいになります。

こんな感じで、なかなか進まない私の学習会準備(´;ω;`)ウゥゥ・・・

ですが、お陰様で、すてきな本に出会いました。

弁護士さんが作った、法教育の書。

子どもから憲法の役割がわかる絵本

です。

これを使って、学習会を開きました。(次回へ続く)

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