平和を守る力に
平和資料館の夏の最後の企画『二重被爆を語る』の延期が決定しました。お話してくださる予定だった原田小鈴さんは長崎市在住。福岡県のコロナ感染者が爆発的に増えているため、県をまたいでの移動には慎重にならざるを得ませんでした。「必ずコロナが落ち着いたら行きます!」と、原田さんはおっしゃってくださっています。
さて、夏の企画の振り返りを少しずつ。
7月24日の語り部の会「フィリピン戦での体験」では、参加してくださった方々から丁寧な感想をいただきました。その中から、ご夫婦で参加されたお二方のものを紹介させていただきます。
●戦争の話は、生き残った母と8歳上の兄から聞いたくらい。私は、母のお腹にいて、腹帯の祝いの膳の時に出征したとのこと。19.1.30に生まれる私に、男の名、女の名を送ってきたという父の手紙から、「邦子」という名がつけられたという。
フィリピンレイテ島に居たというが、その島から一人も帰ってきた方がいないという。(顔も知らない父、母との結婚式の写真が「遺影」になっています。)でも、父がつけてくれた名前、・・・大切にしています。一寸したしぐさが父に似ているなんて言われると、最高に思い、生きています。
●私の義父はフィリピンレイテ島で亡くなったと聞いています。数年前に兄夫婦とフィリピンに出かけましたが、交通機関の関係でレイテまでは無念だが行けず、セブ島まで行き、手を合わせさせて頂きました。
妻は父のぬくもりを知らず、いつも父の顔が頭から離れない人生である・・・と想像しか出来ませんが。
国のためとはいえ、一家族を奪った方針に憤りを覚えます。あってはならない出来事だと、涙が止まらない。
予約のお電話を頂いた際に、フィリピン戦に行かれた亡きお父様のお話をしてくださいました。お母様は、家の外で足音がすると、「お父さんが帰ってきたのかも」と、お歳を召してからもおっしゃっていたそうです。
若い頃、戦争の話を聴こうと体験された方を訪ねました。戦地で友達を亡くした方、鉄砲の弾が当たって怪我した方、原爆投下後の広島の街の光景を見た方、極寒の北海道で過酷な労働をした方、・・・
それまで、平和な中で生まれ育ち、戦争を生きた人の立場で考えることをほとんどしたことがなかった私には「同じこの平和な社会に、戦争の記憶を背負って生きている人がたくさんいるんだ・・・。」と、衝撃でした。年長者を見ると、「戦争中を生きてきたんだな。」と、考えるほどの衝撃でした。
そして、「混乱した戦後を生き抜き、日本を立ち直らせてくれたんだな。」ということに気付きました。
今の平和に感謝!と心から思うようになりました。
そうやって築かれた日本社会を大事にしていかなければ。と思います。「大事に思う」から、「戦争に加担するような動き」には反対の声を上げようと思います。
今回、貴重な感想をいただいて、また更に私の中に生きる「人」が増えました。それは、戦争を直接経験はしていないけれど、戦争中を生きた人の思いを背負って生きている人です。
私の中の「平和を守る力」がパワーアップしました! 感謝。