兵士と軍馬を送り出した門司港~知ることの大切さ~

兵士の話をしてきたので、北九州市の戦争遺跡と関連させた話をひとつ。

門司港にある「門司港出征の碑」と「軍馬の水飲み場」。

この地から、日本各地の200万もの人々が、兵士となって大陸や南方へと出て行きました。100万もの馬たちが、戦争の手伝いをさせられるために、海を渡りました。

「門司港が、そんな重要な役割を果たしていたのか!」

何も知らない私がこの事実を知ったなら、「北九州市ってすごい!」と、自分が生まれ育った町のことを誇らし気に思ったかもしれません。

でも今は、「地獄へのスタート地点、侵略のスタート地点になっちゃったんだな…」と、考えます。「この港で船の出向を阻止できていたら、たくさんの命が失われることがなかったのか…」と、考えてしまいます。なぜなら、兵士になった人々の半数以上が、亡くなったこと、軍馬となった馬たちは、一頭も帰ってくることがなかったこと、兵士になった日本人が、外国で多くの人の命を奪ったことを知ったから。

「知る」ことはとても大事なことだと思います。
戦争の始まり期や戦争中に、戦争に賛成する国民が多かった理由は、「真実を知らなかった」ことが最大の理由だと、私は思います。その「真実」の中でも、「戦争の本当の恐ろしさ」を。

自分の目の前で「人」が、撃たれて内臓が出る、爆弾で体がバラバラになる、焼けて真っ黒に固まる、…

その光景は、忘れたくても忘れられるものではないでしょう。
その「人」が自分の知っている人、大切に思う人であるならば、心の傷はとてつもなく深いものになることでしょう。

明治以降の日本は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と、他国と戦争を繰り返しました。死者も少なからず出ています。
が、戦争が行われたのは、他国の地です。島国である日本からは、遠く離れていました。
日本に居る国民に知らされるのは、「勝った」か「負けた」か。大まかな戦況くらい。
目の前で、隣の町で、戦いが行われている訳ではないので、実際の様子が分からない。ましてや想像もしない。
「死者が2000人出た。」と言われたところで、「どのようにして死んだのか」と具体的に想像する人はいなかったのではないでしょうか。大切な人が亡くなったという方は、想像したかもしれませんが…。

空襲に遭って初めて、戦争の恐ろしさを知りました。自分が死ぬことなんて、考えてなかったです。

とおっしゃっている戦争体験者の証言を新聞で読んだことがあります。

「じゃあ、みんな、戦争で怖い思いをしなければ、戦争はなくならないということ?」

そんなことになったら大変です!だから、人間のもつ「想像力」が、今はとても大切なんだと思います。

「死ぬ」ということがどういうことなのか、怖いし、気持ち悪くなるし、眠れなくなるかもしれませんが、その悲惨さをちゃんと知っておくことが、「戦争がなくなる方法を本気で考える」強さの基になるのだと考えます。

この間、22才になる教え子に言われました。
「私ね、戦争の勉強をした時のこと、忘れられんのよ。先生が、怪我したり、死んだりした人の写真を見せた時に、『うわっ!怖い!』ってみんなが言ったら、『これが現実やったんよ。夢じゃないんやけ、子どもでもそこから逃げられんのよ。』って言ったこと。」
その子は、人間関係で悩むことがたくさんあるのですが、自分の気持ちや考えを相手に伝えることを大事にする子です。
平和的に問題を解決する思考は、「恐ろしい」という感情が根っこにいるのかな。と、思いました。


資料館の手伝いをするようになって、「馬がどうやって船に乗せられたか」を初めて知りました。

船で運ばれ軍馬となった馬

『風船爆弾』の中にも、弟のようにかわいがっていた、農家では働き手として欠かせない馬が、徴用される話が出てきます。

人間のエゴで、人生を翻弄された馬たち。犬やウサギ、鳩なども・・・

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